20210720 - 途方にくれるような片思い
1年前――どうやって生きているか、想像すらできなかった今日は、想像より呆気なくやってきました。人生は往々にしてそんなものなのかなと、今なら素直にそう思います。
7月20日。私にとって特別な日で、私の大好きな人にとっても特別な日で、でも、それ以外の誰かにとっては、なんということのない普通の日。私は今年も、こうして筆を執っています。そうすることでしか、気持ちを表現できない自分が、もどかしいような、切ないような。不思議な気持ちは、何年経っても慣れません。
この1年、世界は大きく様変わりして、私の生活にも色々なことがあって、でも、そのどれより、「来週のハイキュー!!」が読めないことが、やっぱり、いちばん、大きな変化だったと思います。私の大好きな人が過ごした「今日」が分からなくても、私がその人のことを考えない日はなくて、朝起きてカーテンを開けるみたいに、寝る前に電気を消すみたいに、そんなことを繰り返しています。
及川徹さん。お元気ですか。
幸せに、暮らしていますか。
それだけが分かれば、私は。
日々のニュースを見ると、少しだけ胸が痛みます。たくさんの人に見守られて、応援されて、おかえりと言われる姿は、物語の世界のあなただけになってしまったから。……「物語の世界」だから、あんな風に最高の舞台に立てたのだとしたら、それも悪くないのかな。何回も同じことを考えて、答えは出ないまま、気付けばこんなに時間が経っていました。
私はといえば、こんなご時世だけれど、大きな病気もせず、それなりに楽しい人生も送れていると思います。それでも、その根底には及川徹さんがいて、及川徹さんを想うことで日々は成り立っていて。これからも、そうやって生きてゆくのだろうなと、好きになって10年経っても、そんなことばかりを感じます。
……10年。あなたに出会ったあの日から、流れた月日は、決して短いものではなくなりました。15歳の私の輝きはもう失われてしまったけれど、25歳の私だから得た煌めきもあります。変わりゆく世界と、変わりゆく街と、変わりゆく人生の中、ずっと好きでいられただけで、ずっと信じられただけで、一生分の力と、一生分の勇気と、一生分の愛を貰ったと、強く、そう思います。今でも好きになった瞬間を鮮明に思い出せるくらい、強く、強く。
だから、今年も懲りずに、あなたに幸せになって欲しいと、心からそう願います。でも、それを伝える術は多くなくて。あなたに幸せを貰った私が、幸せになることが、いちばんの恩返しなのかなと、いまは思っています。
それにしたって、「しあわせ」って、むずかしくないですか?
形がなくて、でも必要で、思わぬところで得られたり、失ったり。ひとつとして同じものはないから、余計厄介で。それに、たぶん、私はそれを見つけるのが人より下手で。
なんでもないことで落ち込んで、自分をすぐに嫌いになって、弱音を吐いて、泣いて、そんなことばかりしている私が。世界中の人間が嫌いで、未来が嫌いで、夢が嫌いだった私が。部屋を飛び出して、自宅の屋上から、夜の街を見降ろしていた私が。それでも今日まで生きているのは――それどころか、「それなりに楽しい人生」なんて言えるようになったのは、及川徹さんが、ずっと及川徹さんの人生を生きてくれているからです。
だから、私も、私なりに、「それなりに楽しい人生」を、「結構楽しい人生」とか、「まあまあ充実した人生」にできるよう、頑張っていこうと思います。それが、今の私にできるしあわせで、私のしたい恩返しです。
今年も、こうやって自分の気持ちを再認識して、私のできる限りの明日を生きます。
あなたもどうかお元気で。
お誕生日おめでとうございます。
私より。世界一大好きな、及川徹さんへ。
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はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」