メンヘラ20年史①

小野美由紀女史の「傷口から人生。」という本を読んだ。

ざっくりした内容としては、「毒親に育てられたメンヘラの人生譚」。この内容に心当たりや興味のある人はぜひ読んで欲しい。

 

この本を最近読んだわたしは、読み終わってから、なんとなく、わたし自身も自分の人生を振り返ってみようかなー、なんて思ったので、この記事を書いている。なるべく脚色はしない予定なので、エンタメ性とかは特に期待しないで欲しい。あと読んで不快感を覚えてもわたしは責任を取れないので、どうかお許し願いたい。

 

 

誕生

1996年10月18日、なんてことないある1年の、ある日のある夜に、わたしはこの世に生を受けた。わたしを産む前、既にふたりの子どもを亡くしていた母親にとって、それは待望の我が子だった。具体的な数値は覚えていないけれど、その日病院で生まれた赤ちゃんの中でわたしは際立ってデカく、ひとりだけ保育器に入れられていた。わたしが産まれたと聞いて飲み会から飛んできた父親は、産婦人科のロビーでガラス越しに並んだ新しい命を眺め、わたしのことを指さし、それが自分の娘とも知らずに「あの赤ちゃん、猿みたいで面白いですね~ハッハッハ」と知らないおばあさんと一緒に笑っていたんだという話を未だによく親から聞かされる。産まれて早々碌でもないスタートダッシュだが、それでもごく普通の、ありふれた、ひとりの人間の人生の始まりである。

 

 

幼稚園

自分の実体験としての記憶が無いところはなるべく簡潔に書いていく。すくすくと成長を続けたわたしは、4歳になり、地元の幼稚園に入園する。同級生は全部で30人足らず。そのほとんどが、中学卒業までを同じ教室で過ごす。いま考えればそれは極めて特殊なコミュニティだが、その頃のわたしにとっては、それがごくごく当たり前で、ふつうの世界なんだと思っていた。地獄の起源。

入園式。同じ制服に身を包んだ同級生達の中で、わたしは少しだけ緊張していたような気がする。担任によって、新入生はひとりひとり名前を呼ばれ、立ち上がる。ひとり、またひとりとわたしの番が近付いて、ようやく、わたしの前の女の子が呼ばれる。さあ、頑張って返事をしよう―なんて思った矢先。わたしの次の人の名前が呼ばれた。見事に華麗に唐突に、わたしの名前だけが読み飛ばされたのである。幼稚園の頃のことなんて当然ほとんど記憶にないけれど、この瞬間のモヤモヤだけは、成人した今でもはっきりと覚えている。戸惑うわたしは子供なりに、空気を読んでおもむろに立ち上がる。担任が全員の名前を呼び終える。以上、〇〇名の入園を認めます、なんて声がして、でもその〇〇の中にわたしが入っている気がしなくて、子供心にわたしは、生まれて初めての疎外感を覚えた。その姿を見ていた母親はどう思ったんだろうか。今はもう知る由もない。

 

小学校

時は変わって、小学生になったわたしの話をしようと思う。幼稚園を出て、わたしは地元の小学校に入学した。もちろん、クラスメイトの顔ぶれはほとんど変わらない。小学生になってからは、ピアノを習い始めたり、スイミングスクールに行ったり、鼓笛隊で指揮者になったり、ミニバスのチームに入ったり、陸上部に参加したり、英会話教室に通ったり、とにかくできることはなんでもやっていた。それもそのはず、わたしにとって、田舎の生活は非常に退屈だったのである。変わらない景色。変わらない町。変わらない人々。そんな『変わらない』全てをわたしは悲嘆していたんだと思う。だから、自分の知らない世界の顔に少しでも触れたくて、得意なことも苦手なことも初めてのことも、とにかく勧められればなんでもやった。本格的にオタクになったのもこの時期だ。この頃に観たアニメとか、読んだ漫画とか、まだ好きなものがたくさんある。たぶん、これがわたしの『人生』の指標なんだろうな、と思う。

生活の中に歪が生まれ始めたのもこの時期からだった気がする。小学2年生、幼稚園の頃から仲の良かった女の子に、時々追いかけ回されたり、物を取られたり、上履きを隠されたりするようになった。当初は友達同士のじゃれ合い程度だったそれは、次第にエスカレートしていく。ある日空き教室に呼ばれたわたしは、その子に面と向かって「あんたなんかもう友達じゃないから」と宣言される。その隣では、彼女が最近仲良くなった他の女の子がわたしを見て笑っている。敗北感、というより、喪失感のような。家に帰ったわたしがそのことを母親に告げると、その情報がどういうルートを辿ったのかは知らないが、後日わたしは自分の母親から怒られたらしい彼女から、謝罪の言葉を受け取った。言葉は時に凶器となり、時にまた薬となる。が、そのときわたしの心に生まれた傷は、その謝罪によって完全に治ることなく、じくじくと、何年も何年もわたしの彼女との因縁を生み出し、内部からわたしを傷つけることとなっていく。

先日成人式を迎える年になって思い出したことだが、小学4年生のときに1/2成人式というのを教室で開催した記憶がある。自分の短い過去を振り返ったり、家族のことを考えたり。とにかく、当時のわたしもいまのわたしも、この世でいちばん苦手なことを集めてまとめて形にしたようなイベントだったことは記憶している。確か、親への手紙を朗読するコーナーでも、みんな「産んでくれてありがとう」とか「お母さんが大好きです」とか書いてたのに、わたしだけ「最近よく死にたいと思うことがあります。」とか書いてた覚えがある。成人したいま同じことをしても、たぶんわたしは同じ書き出しで手紙を書くと思うので、ある意味軸のぶれない人生を歩んでいるということは評価できる気がする。

小学5年生。わたしは生まれて初めて、異性に恋をする。相手はクラスメイトの男の子。運動神経が良くて、成績も優秀で、学級委員を務めるような、そんな子だった。本や音楽の趣味が似ていたわたしたちは、少しずつ、今までとは違った仲の良さを意識していくことになる。が、これが後々大きな歪を生むことになることを、このときのわたしはまだ知らない。

鼓笛隊の指揮者をやったのもこの年だった。当時の担任は音楽教師で、何かとわたしの行動に文句を付けるような人だった。今思えば相当に問題のある教師だったように思うし、親がそのやり方に異論を感じていたのもよくわかる。町の音楽祭にクラスで出ることなったとき、ピアノ伴奏の役を勝ち取ったわたしに渡されたのは、子供の指では到底弾けないような楽譜だった(が、ピアノ教室の先生の怒りと努力とわたしの根性でなんとか完遂)。昼休みに友達と廊下で遊んでいると、「そんなことしてないでお前は指揮の練習だけしてればいいいんだよ!」と怒鳴られた。否定されづくの人生の始まりは、もう10年も前に遡ることができるらしい。

 

長くなったんで続きはまた次回にします。

 予想以上にしょうもなくてすみません。